私の高校時代の夢は、ジャーナリスト、新聞記者でした

昨日は、某新聞社さんの記者さんが訪問されました。
私の高校時代の夢は、ジャーナリスト、新聞記者でした。
しかし、学力が伴わずに断念しました。

毎回、記者さんと話すと解ることがあります。
自分の考えの狭さや甘さです。
記者さんは、ご自身の記事を書くために多方面に渡り取材し、勉強し、
語る人の人間模様まで解釈をしながら、読者が、記事によって知らない事象について考える、
そのことが暮らしと社会をより良くしていく力になることを
願っているのだなと私は、思いました。

2013年 新潟日報 市嶋 彰さん『自分を生きる』
この記事の市嶋さんが生前葬を地域のみなさんと行った記事に感動し
「この人に会いたい上越で講演会をしなくっちゃ」と私は思いました。
そのことを知人に伝えると、ご自身のネットワークをたどりながら、
すぐに、市嶋さんへ依頼ができました。

市嶋さんの上越での最後の講演会は、今でも忘れられない思い出です。
やはり、次に生まれてきたら、きちんと学力を身につけて新聞記者になろうと思います。

困った時のお守りに、連絡先が記載されている新聞記事をお守りにしている方がいることは、よく耳にします。
私にもいくつかのお守りの記事があります。

2013年12月31日 自分を生きる 市嶋さんを悼む 
記者さんのこの記事で市嶋さんのライフワークを知ることができました。

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